バレリーナから株トレーダーママへ

家族の絆、本当の幸せを手に入れるために、40年以上続けてきたバレエの世界から、株トレードの世界へ飛び込んだママの日記

お金の奴隷となった私

株の師匠と出会う前までは

「拡大する」とか「成長する」

っていう変化はいいんだけど

 

「縮小する」っていう変化は悪い事

って思っていて

 

何かを削る

とか

減らすのが

凄く恐かったような気がします。

 

 

 

 

バレエ教室として

 

生徒数が増える

様々なクラスが増える

という右肩上がりのグラフになるような変化はいいんだけど

 

支部を減らす

とか

クラスを減らす

っていう事がとっても恐怖でした。

 

 


その根底には

「一度決めた事を最後までやり続ける」

この考えがいい事だ、正しい
という思考だったり


「いい指導者である、と示したい」

 という承認欲求もあったと思います。


だから「どんどん拡大したい」
という気持ちを、いつも持っていました。

 

 

そして
規模を小さくするという事は
収入にも直結してきます。

 

だから

「収入が減るのが怖い」

 

という気持ちもあって

 

縮小する=収入が減る

 

収入が減る=悪い事

 

つまり
縮小する=悪い事

 

こういうロジックに置き換えていました。

 

 

収入が減るのが怖いから
増やそう増やそうと頑張り

 

収入が増えれば
当然税金も増える

 

税金がどんどん増えていくから
支払いのために
もっともっと仕事を増やす

 

 

 


もう、本当に悪循環でした!

完全にお金の奴隷でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#お金の奴隷 #悪循環 #承認欲求  #日記

 

娘の変化

 

昨年11月に、東京ビッグサイトで行われたデザインフェスタに娘と出掛けて以降、娘が少しずつ変化してきました。

 


デザインフェスタに行った時の記事はこちら
↓↓↓

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今までは私の仕事の手伝いをちょこちょこやってくれたり
友達とゲームをしたり
絵を描いたり
マンガ読んだり
小説読んだり...

 

 


家の中で完結することばかりでしたが
デザフェス以降
アルバイトの面接を受けたり...


バイト面接の記事はこちら
↓↓↓

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ちょっとずつ現状を変えたい
変化したい
という気持ちが芽生えてきたみたいです。

 

 

 

 

そんな中、最近娘からこんな相談を受けました。

 


「もう一歩前に進みたいんだけど、
ブレーキがかかって
前に進めない。
どうしたらいい?」

 

ヒプノセラピー受けたら?」

と提案しました。

 

今までも何度か
ヒプノセラピーを受けたら?」
と提案したことがありましたが
「怖い」
と言って拒んでいました。

けれども今回は
「やってみようかな」
と言ってくれました。

 

 

 

 

 

娘が小さい頃、毒親だった私は、
本来与えるべき愛情をほとんど与えていませんでした。

きっと娘は大きなトラウマを
沢山沢山抱えているはず。

 

精神的虐待...


文字にすると恐ろしい。


でも、そんな恐ろしいものを私は娘に与え続けていました。

 

 

 

 

 

娘が「ヒプノセラピーを受ける」
という事は
私が娘にしてきた精神的虐待...

〈幼い我が子がどれほど傷ついたか〉

という事を見させられ、認識させられることにもなります。

 

 


正直、私も怖い


でも、それが私がやってきた事。


毒親だった私がそれを認め
娘に謝罪することをまずしなければ
娘は一歩前に進むことはできないし
私自身も幸せな親子になることはできないはず。

 

 

 

 

 


ヒプノセラピーのセラピストさんは
私の株の師匠です。

そして、娘も師匠をとても信頼しています。

(ここについても追々書いていきたいです)

 

 

私たち親子が
信頼するトレーダーでありセラピストでもある師匠の力を借りて
変わろうと動き始めました。

 

 


私と娘の大きな転換点に来ているような気がします。

 

 

 


幸せの階段を
一歩一歩登って行きます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#毒親 #ヒプノセラピー #娘 #日記 #娘の変化 #動き始めた

結局母と一緒だった

実は気付いていなかったけど
私も母と同じように

未来の心配ばかりしていた

 


娘のこと

毎月の支払いのこと
(土地を購入してスタジオを建てたから)

仕事のこと

老後のこと...

 

未来の不安材料ばかり探し
心配するのが
当たり前のようになっていた。

 

母と同じ思考をしていた。

 

 

でも、仕方ない。


母に育てられたんだから。

 

母の心配性が嫌で
そうなりたくない
と思っていたのに
自分もそうなっていた。

 


これに気付いた時はショックだった。

 

でも、気付けて良かった。


ここから手放すことにしたから。

 


でも
そう簡単には手放せないと思う。

何十年もこの思考で生きてきたから。

脳はスーパーコンピュータ

脳のプログラミングを変えるのは至難の業


でも、株の師匠の元で学べば
きっと変われるって思ってるから
目の前のことを
一つ一つ精算していく。

 

どこまで出来るかわからないけど
諦めないって決めたから
やる

 

 

 

 

 

 

無意識だった母への感情 その③

自分が無意識で抱いていた母への感情

 

その①はこちら

↓↓↓

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その②はこちら

↓↓↓

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「心配かけたくない」

「認めてほしい」

これに気付いてからは
本当に苦しかった。

 

 

 


分かってくれない母を
憎んだり
否定したりした。

 

 

 

 

 


でも、私の子供の頃からの夢だった
バレエ留学の資金を出してくれたのは
母だった

 

母が朝から晩まで
日曜日も祝日もなく働いてくれたお陰で
私は夢だった留学生活を送れたのだ。


これは紛れもない事実だ。

 

 

 

 

私はずっと母に感謝していた。

今でも感謝している。

 

 

 

 

 


心の中で
「もう、心配しないで」
「大丈夫だから」
って何度も何度も言った。

 

 


二つの感情が混在して
自分でもこの感情をどう扱っていいのか分からなくなってしまった時もあった。

 

だからまた
苦しくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

昨年実家に帰省する機会があった。


その時もまた母は
私が痩せていることを心配した。

 

別に食べるものが無くて痩せている訳では無い。

仕事でエネルギーを使い果たしてしまい
太る余裕が無いだけだ。

痩せたくて痩せてる訳では無い。

しっかり食べてる

ただ太れないだけ

 

 

 


感情的になり、母に
「もう心配しないで!!」
と怒鳴ってしまった。

 


母は泣き出した。

 

 

母の気持ちも分からなくない。

でも、私も辛い。

 

 

 

 

 

 

母を変えることはできないし
変えようとも思わない。


私が母から
精神的な自立をしよう
そう決めた。

 

少し時間がかかったけど
母の方を向いて生きるのをやめた。

いい子になるのをやめた。

 


そしたら少しずつ楽なってきたように感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#母 #無意識 #手放す #いい子になるのをやめる #自立

無意識だった母への感情 その②

株の師匠に出会ってから

子供との信頼関係を築くには
自分の親との関係性を
見直さないといけない

と思うようになり
そこから無意識で思っていた
母への感情が湧き上がってきた。

 


その①はこちら
↓↓↓

bellemama9.hatenadiary.com

 


私は

心配されるのが
嫌だったんだ

という感情にやっと気付けるようになった。

 


母はとても心配性で
私が50を過ぎても
今でもまだ心配し続けている。


更に孫(学校に行かなくなった娘)のことも心配している。

 

 

 

 

 


だから私は
ず〜っと
心配をかけたくない一心で

ひたすら頑張ってきた。

 

 

 

 

 

そして

母に喜んでもらいたかった

母に褒めてもらいたかった

母に「頑張ってるね」って言ってもらいたかった

母に「そんなに無理しなくていいんだよ」って言ってもらいたかった

 

 

 

 

 


と、気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

母に認めてもらいたかったんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心配をかけたくなかったので
常にいい子を演じ
期待に応えようとしていた。

 

 

 

 

 

 


でも
頑張っても
頑張っても
母は私のことを
認めてくれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間って、

頑張ると苦しくなるね。

 

 

 

 

 

 

 


今、思うと

〈母のために仕事をしてきた〉

と言えるかもしれない。

 

 

 

母を安心させたかった。

 

 

 

 

でも
どんなに生徒数が増えても
留学する生徒が出ても
コンクールで入賞しても

 

 

 

母は安心してくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく...

無意識だった母への感情 その①

母とのことを、いざ書こうとすると
何から書いていいのか分からなくな
ってしまった。

 

 

私が株の師匠と出会ってから
一番最初に気付いた
無意識の感情...


そこから話していこうと思う。

 


それは

「母に心配をかけたくない」

だった。

 

いつからそういう気持ちを持つようになったんだろう?

と思い返すと

結婚してから

というか、結婚を機に
見知らぬ土地に来て
バレエ教室を立ち上げてからだ。

 

そしてこの結婚ということも
「心配かけたくない」
材料の一つだった。


なぜなら
国際結婚だからだ。

 

欧州と日本
遠距離恋愛ののち
私は国際結婚をした。

 

 


結婚したいと言った時

海外に行かないのなら許す


だった。

 

両親の気持ちとしては
反対だったんだと思う。


おまけに主人は
版画家を目指していたので
収入のあてはなし。

 

 

普通の親なら反対するよね。

 

 

国際結婚&仕事なし

だもんね。

 

 

色々あって
(話すとこれもまた長くなるので、今回は割愛する)
バレエの先生の紹介で
とある地方の田舎町で
バレエ教室を開くことになった。

 

 

自分の中では

もし生徒が集まらず
生活するのが無理なら
やめて実家に戻ればいいや


ぐらいに考えていたけど
東京のバレエ団に在籍していた時の先生の力添えで
最初からそこそこ生徒が集まり
二人で生活するには何とかできてしまった。

 

 


教室を開いて
数か月後
両親がどんな場所なのか
見に来た。


2〜3日滞在し
戻ってから母から電話があった。

 

「あんな田舎でバレエの先生をさせるために留学までさせたんじゃない。すぐにやめて戻ってきなさい。」

 

なんて答えたかもう覚えていないけど
多分
「生徒もいるから無理」
みたいなことを言ったと思う。

 

フランス留学から戻ってから
日本でもトップクラスのバレエ団に入り
教師として仕事をしていたので
母としては
そのキャリアを活かして欲しいと願っていたんだと思う。

 

ところが
私の実家よりも田舎で
しかも人口も少ない町
そんなところでバレエの先生をする
というのが
母には耐えられなかったんだと思う。


町が発展していく
イメージが無い

教室として成り立って行くのかが
心配

そんな理由もあったのかもしれない。

 


でも私にとっては
この電話以来
「心配をかけてはいけない」
「仕事は順調だ」
ということを
常に母に示さなければならなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく...

母との関係性

子育てというか
子供の将来というか
自分の子供が幸せな人生を歩んで行くためには

 

親である私自身が
自分の親との関係性を何とかしないと
上手く行かないんだろうな〜と
思うようになりました。

 

私の場合、

特に母親かな。

 

 

 


この事って


分かっている人は分かってるけど


分からない人は全く分かってない


って、自分の経験から実感しています。

 

 

 


私自身、

母との関係は良好だと思っていたけど

実は母の事を

否定していたんだな

と最近気付きました。

 

 

 

 

もちろん

感謝はしている。

 

 

 

 

 

感謝してるくせに
否定してる

 

 

なんとも矛盾した感情。

 

 

 

 

 

だから


ややこしくて


めんどくさいんですよね。

 

 

 


明日から
少しずつ母とのことを
書いていこうかなって思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

#親との関係性 #母親 #感謝 #日記