バレリーナから株トレーダーママへ

家族の絆、本当の幸せを手に入れるために、40年以上続けてきたバレエの世界から、株トレードの世界へ飛び込んだママの日記

無意識だった母への感情 その①

母とのことを、いざ書こうとすると
何から書いていいのか分からなくな
ってしまった。

 

 

私が株の師匠と出会ってから
一番最初に気付いた
無意識の感情...


そこから話していこうと思う。

 


それは

「母に心配をかけたくない」

だった。

 

いつからそういう気持ちを持つようになったんだろう?

と思い返すと

結婚してから

というか、結婚を機に
見知らぬ土地に来て
バレエ教室を立ち上げてからだ。

 

そしてこの結婚ということも
「心配かけたくない」
材料の一つだった。


なぜなら
国際結婚だからだ。

 

欧州と日本
遠距離恋愛ののち
私は国際結婚をした。

 

 


結婚したいと言った時

海外に行かないのなら許す


だった。

 

両親の気持ちとしては
反対だったんだと思う。


おまけに主人は
版画家を目指していたので
収入のあてはなし。

 

 

普通の親なら反対するよね。

 

 

国際結婚&仕事なし

だもんね。

 

 

色々あって
(話すとこれもまた長くなるので、今回は割愛する)
バレエの先生の紹介で
とある地方の田舎町で
バレエ教室を開くことになった。

 

 

自分の中では

もし生徒が集まらず
生活するのが無理なら
やめて実家に戻ればいいや


ぐらいに考えていたけど
東京のバレエ団に在籍していた時の先生の力添えで
最初からそこそこ生徒が集まり
二人で生活するには何とかできてしまった。

 

 


教室を開いて
数か月後
両親がどんな場所なのか
見に来た。


2〜3日滞在し
戻ってから母から電話があった。

 

「あんな田舎でバレエの先生をさせるために留学までさせたんじゃない。すぐにやめて戻ってきなさい。」

 

なんて答えたかもう覚えていないけど
多分
「生徒もいるから無理」
みたいなことを言ったと思う。

 

フランス留学から戻ってから
日本でもトップクラスのバレエ団に入り
教師として仕事をしていたので
母としては
そのキャリアを活かして欲しいと願っていたんだと思う。

 

ところが
私の実家よりも田舎で
しかも人口も少ない町
そんなところでバレエの先生をする
というのが
母には耐えられなかったんだと思う。


町が発展していく
イメージが無い

教室として成り立って行くのかが
心配

そんな理由もあったのかもしれない。

 


でも私にとっては
この電話以来
「心配をかけてはいけない」
「仕事は順調だ」
ということを
常に母に示さなければならなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく...